【離陸はスムーズに】自身と向き合う 風の時代 函館 研修

風の時代に入ったと云う。。。
土の時代から150年振りだとか200年振りだとかどっちか忘れてしまうがどうやら土から風に時代は移行したらしい。。。物質主義から魂の時代になった。。。
らしい。。。

確かに時代が急激に進化発展している現在は10年一昔前というより3年一昔の表現がピッタリする昨今であります。
個の時代です。
その人個人の魅力の時代と云う事で御座います。。。
何だかワサワサと飛び周り賑やかすが何の責任も無いポジションでウロウロして脚光を浴びている時代では無く、実力が試される時代の到来と云う話しになって来たと云う事です。。。と、自分に問います。。。
その変化が風の時代であるのかも知れぬが、口先だけの職人風情もチョット痛い時代かも知れません。。。故に私しなどは随分と知った様な講釈を料理に関して発言致しますが、いざとなって
キャベツの千切りも出来ぬ訳では御座いません。。。
にこやかにキャベツの千切りをします。。。魚類も捌き、煮物を味付け、更に講釈を並べるのが好きなのです。。。料理随筆家ですので。
であって家庭料理の優しさや肉体労働をなさっている方々のパワー飯も考察し、
深山の山菜を料理し、
糠床に手をツッコミ胡瓜を取り出すが、
そのキュウリは自家菜園で収穫されたキュウリでなくとも
自家製糠床を管理して食卓に出せるのはともかくとして、
人に感動を与える事も出来ずに、
ニヤニヤしていてもバレちゃう時代が今だ!!
患者さんに感動を与える按摩師になるには魅力的でなければ患者さんに失礼ですし健康をプレゼンしないと行けません。。。
プロ意識を持つ努力をして行きます。。。
と
脳味噌がグルグルとしていたのは乱気流のせいかもしれません。。。

風の如く伝達する時代が今かも知れません。。。
snsジャンキー気味の君の実力が試される本物が生き残る時代。
更に言えば魅力的な人間が力を発揮する時代が風の時代かもしれません。。。
と自分を鑑みます。。。
にほんブログ村
それにはコンプレックスに向き合う必要があり今その自身のコンプレックス(劣等感)に向き合う事をせず
承認欲求を前面に押し出した所でその仕事ぶり、
言動でその正体をいくら隠しても風がひと吹きその個人の実力が試されてしまう時代と云う事です。
言うなればその人その人が本物の仕事に呼ばれて行く時代です。
いざとなったら刺身の盛り合わせを要領良く完成させ
ゆっくりとねっとりと本ワサビを鮫皮の下ろしで笑顔で擦り下ろす事も出来ずに
刺身を語る人間では、、、
時代に乗り遅れてしまう。。。
建具屋なら寸分の狂いのない襖を小指一本で開けれる襖を何やら意図も簡単に期限を守りキッチリ仕事していればそれは令和の名工と云う事であります。
プロフェッショナルな仕事に注目が集まり随分とウンチクを並べた挙句に何だかパッとしない仕事はまあ〜そんなもんかとリピートされずに消えて行く時代が風の時代かも知れません。。。
そう、、、コンセントレーションを、
肉体と精神の調和を東洋医学的に見つめる、、、
そこに「美」というものも必要不可欠である。。。
美術的でスタイリッシュ!!コレだ!!
ウンチクを言ったらやるときゃやる実力を発揮しないと時代遅れになってしまう予感がするので日々の精進が試されます。
人格も問われます。
仕事は出来るがブスッとしている人も昭和の職人衆ではよくあるお話しですが
風の時代は和か(にこやか)に明るく楽しくが基本です。ブスッとしてるけど実は良い人なんだよと囁かれているのもよくある古いお話しです。
ブスッとしている人は実は良い人ではなく迷惑な人です。

いくらいい仕事が出来てもです。
周りに気を使わせて良い人も何もありません。
コンプレックスを隠す為にマウント取りに励む人も哀れな時代かも知れません。。。
そんな自分にはなりたくない!!と自戒します。。。
学歴と云うブランドも色褪せます。。。
学歴の時代もまた終わり土の時代感を漂うもかも知れません。

土の時代の空気感の中で特筆すべきは戦争の時代だったと云う事です。
どれほどの犠牲者を戦争でどれほどの悲しみを戦争で味わって来たのか。。。
土の時代は終わり今起きている戦争も何かの名残りです。
しかし人類は学びを忘れません。
戦争の悲惨さからもテクノロジーを発展させインターネットが生まれ生活に変化が起き出し
風の時代が本格化して行くそんな感じです。。。

にほんブログ村
なんと!!もう着陸態勢に入るという、、、、、目の前の座席シートに付けられているモニターを飛行機目線の外部カメラに切り替えた・・・函館の夜景が迫って来た。。。低空飛行が函館名物と後で知る。。。