おっさん語録/いいさ〜/「美」術というものは存在するのだろうか。④白い町
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白い町
白い道が眠そうな天の光をうつし、
暑くもなく、寒くもない、
その町には、
壊れかかった純喫茶
の
看板がかけられた店の丸いテーブルに肘をついて、
文字が無くなった白いページを見ている、
笑い顔の男がいるのが常だった。
男たちは戦争へいってしまい、
残された家族も歳の順に亡くなっていき、
死をこわがるひとが住む町には、
必ず笑い顔の男がいた。
町の全ての建造物はみんな脱色したように白く、
暑くもなく、寒くもない
白い道のはるかな高みを
焼き場の青い煙が流れるような
午後の白い大理石のテラスには
白百合のように明るいお姉さまの笑い声もかすかな吐息だけ。ふふ…。
男たちが出征してから爆撃とともに下された
ポツダム宣言のあたりまで、
そこから敗戦したこの国の人々が、
食べるために人格を放り出し
空腹がいたるところに広がって
戦後飢餓状態となる寸前のほんの短い期間、
町には人がいなかった。
暑くも寒くもない、
白い道を行ったり来たりしていた幼児のぼくは、
はっきり覚えている。
何も考えなかったので思考が紡ぎ出す
言葉を覚えていないにしても、
瞑想における中庸のポイントになってしまった町は、
全てに対して判断を停止して、
空腹もエンプティーネスなかで消滅していた。
でも、
その白い道は不思議に快かった。
最近では、いたるところの町で、
店主が亡くなって商売の継ぎ手がいなくなると、
古い瓦屋根の家は解体されて、駐車場になる。
コンクリートの駐車場はやがて緩慢に増え続け、
敗戦直後に見た、あの白い道が増えはじめ、
やがて白い町がその姿をあらわにする。
言葉によって編むべくもない静寂が
そろそろやって来るような気配がします。
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雑談
私の母親と同世代の原山尚久氏は戦後の町が白く見え、そして人通りが無くなり抜け殻のような体験をしたのかもしれません。母親はとても戦後の一ときとても空腹感にさいなまれたと回想していた。お弁当を学校に持って行く事ができなく、ひとりグランドの鉄棒で遊んでいた事もあったと言う・・・。1966年生まれの私はもの心つく頃からテレビがあった。四つ足の白黒テレビが記憶にあります。その後二台目からカラーテレビになりました。空腹感にさいなまれた経験はありません。ありがたい事です。両親に心から感謝しています。ここ15年。年一回「ファスティング」をしています。約一週間の断食です。猛烈な空腹感は3日目位で薄らいできます。スムージーなど野菜やバナナをミキサーにかけ飲むのはアリとしています。狙いは減量ではなく腸内を綺麗にする事です。宿便を出して終了です。ゴールの見えない空腹感は本当に辛い事だと思います。