おっさん語録/いいさ〜。/「美」術というものは存在するのだろうか。②
走る
僕の左脚には金属製の骨が埋め込まれている。
むろん骨折の故だが、自転車に飛び乗るときの軸足になる筈の
脚力が、まだまだ頼りない。
からだを斜めにし、右脚を滑らせるようにしてメーンチューブ(パイプ)を跨ぐそしてサドルへ腰を置く。
右脚からぐいと踏み込む。
道路の面がやや斜めにみえる感じのまま走りはじめ、スピードを上げて直線に乗る。
車輪は昔よく走っていたロードレーサーの27インチに同じだけれどチューブラー(丸タイヤ)。
以前、アメリカのサル真似で大流行した、ゴツゴツタイヤのマウンテンバイクとは違って、
超軽量の丸タイヤが走行しながらとらえる路面は、
その質、ディティール、石畳、コンクリートなどの素材を次々と読んでいく。
そのこつんとくる感触とともに眼下にある道路が巨大な鈍く光る壁のような感じで迫ってくる。
なにせ太さ三十数ミリの細い輪っこ、少しの窪みでも自転車は転倒する。
だから路面を読む。
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道路上の動くもの全て、
特に向かってくる、あるいは後ろから、右から、左から接近してくるクルマとの間会いを耳で即座に計測する。
ぐんぐんとスピードを上げてゆく川沿いの夏草のなかのアスファルト一車線上にかなりスピードで追い上げてくるスポーツカーの気配、
咄嗟に左に落ちていく道をみつけ、状態を左傾させながら道はば三メートルほど、アスファルトの草むらの小道へ乗る。
ぐんぐん飛ばす。
夏草が左右の肩のあたりで光っている
川のむこうの嶺へ落ちる寸前のの夕陽があたりをまぶしい黄金色に染める。
走るぼくは光につつまれたままで、
独特浮遊感にまた頭がすっかり空っぽになる。
いや違う。ぼくがそうなったわけではない。
ここいら一帯はぼくが居てもいなくとも、こういうところなんだ。
昔から・・・
こんな感じの場所で、そんなポイントのような土地は存在しているにしても、
ぼくは走り過ぎて存在が逆転し、非存在になってしまったような気分になる。
ここに町が無くて、たんなる草原だったころ、それらはいたるところ充満し、渦巻き、
ときおりあたりいちめんを発光させていたのかもしれない。
③もあります。お楽しみに。。。。。